VOLUME I CHAPTER 02
第二章 持ち帰られた依頼書
その日の昼、リュネ冒険者ギルドの扉は通りへ開け放たれていた。
アルシアは敷居をまたぐ前に、奥の勝手口と二階へ続く階段を見た。階段には荷箱を抱えた職員が一人。勝手口の前には空の樽が二つ積まれている。正面の扉まで戻る道を塞ぐものはなかった。
確認を終えてから中へ入る。
午前の依頼を終えた冒険者たちが、窓際の長卓を囲んでいた。革鎧から乾いた土が落ち、受け取り窓口では硬貨を数える音がする。人の声と椅子の脚が石床を擦る音の間を抜け、アルシアは依頼板の前で足を止めた。
ほかより白い札が、一番上に留められている。
エルドラ遺構深部区画、再調査。
題目の下には、「詳細は受付で確認」とだけある。危険度も報酬も書かれていない。空欄が多い依頼ほど、現場で何が起きるか分かっていない。
「お前には向かんぞ」
背後から太い声がした。
振り向かなくても、誰なのかは分かる。靴底が石を打つ音は重く、間隔はいつも変わらない。
ガルドは受付脇の扉から出てきた。灰色の短髪には紙埃が付き、大きな右手で書類の束を抱えている。左手は空いていて、手の甲を横切る古傷が白く浮いていた。
「まだ何も聞いていない」
「聞いたら向くようになる話でもない」
ガルドは依頼板の札を外さなかった。代わりに顎で奥の小机を示す。
そこは受付から見えるが、長卓の喧騒からは少し離れていた。壁を背にでき、正面の扉も勝手口も視界へ入る。アルシアが椅子を選ぶ前に、ガルドは壁側の一脚を足で押し出した。
アルシアは座らなかった。
「正式依頼か」
「支部のな。宮廷から押しつけられた仕事じゃない」
ガルドは書類の束から、封蝋の付いた四つ折りの紙を抜いた。封を割り、机へ広げる。下半分にはエルドラ周辺の簡単な地図と、調査隊が測った数値が細かな字で並んでいた。
「西の水路で地熱の上がり方がおかしい。春先から温い場所が増えた。先月、外壁の一部が崩れて、その向こうに空洞が見つかった」
「人為的な掘削は」
「跡はない。先遣は入口までだ。中から光が見えたが、持ち込んだ導晶の反応じゃない。熱だけ測った」
「戻した?」
「帰らせた。壁の先は古い区画だ。床も天井も信用できん」
ガルドの指が、地図に引かれた太い線を辿る。既に知られている上層水路は途中まで記されていたが、その先は崩落を示す斜線で終わっている。新しい空洞は、その斜線よりさらに奥にあった。
「正式な調査でも、深部が安全になるわけじゃない。水路は生きている。地熱が上がれば石の割れ方も変わる。魔力を流した途端、眠っていた仕掛けが動くこともある」
「魔物は」
「痕跡はない。いないという意味ではない」
アルシアは地図から依頼文へ目を移した。
崩落した壁の向こうに、未知の動力反応あり。
持続的な発光。既知の導晶反応と一致せず。
古代の魔力生成遺物である可能性。
最後の一行だけ、文字が周囲より濃く見えた。
魔力を作るものが、本当にあるとは限らない。蓄えていたものを放出しているだけかもしれない。報告した者が原理を知らず、生成と書いた可能性のほうが高い。
それでも、もし。
誰かの魔炉を通さず、使える魔力を生む仕組みが残っているなら。
朝、手首に触れたときの細い流れが指先へ蘇った。リエッタを生かすため、途切れず渡し続けているもの。自分が眠っているときも、戦っているときも、遠くへ行こうとするときも、身体の奥から削られていくもの。
惜しいと思ったことはない。
惜しいと思わないことが、リエッタを自由にするわけでもなかった。
依頼書を取ろうとした。
指が紙の手前で止まった。
命じても、すぐには曲がらない。手袋の内側で指先が小さく震え、紙の端を一度だけ叩いた。
ガルドは何も言わず、依頼書の上へ置いていた手を退けた。
アルシアは親指と人差し指で紙を挟んだ。持ち上げたとき、封蝋の欠片が机へ落ちる。落下音は長卓の喧騒に消えた。
「報酬は遺物の引き渡し後。調査だけで終わった場合も、日当は出る」
「遺物の所有権は」
「第一調査権は支部。危険がなければ、解析を担当した者へ研究期間を認める。持ち出せる物なら、だ」
「持ち出せない場合は」
「現地で記録する。勝手に壊すな。止め方の分からん動力を、光っているからと引き抜く馬鹿は要らん」
紙を持つ指に、また力が入った。
リエッタなら、光だけを見て引き抜くことはしない。周囲の線を調べ、熱を測り、どこから何が入ってどこへ出るかを確かめる。動かなければ何時間でも座り込み、分からないものを分かったとは言わない。
だから連れていけない、という考えと。
だからリエッタが必要だ、という考えが、同じ場所でぶつかった。
「受けるのか」
「確認する」
「誰に」
アルシアは答えなかった。
ガルドが椅子へ腰を下ろす。古い木が低く鳴った。
「単独と書いて持ってきたら、俺が差し戻す」
「深部へは一人のほうが動きやすい」
「動きやすく死ねるな」
「死なない」
「それを書面に書ける奴は、たいてい信用ならん」
ガルドは笑わなかった。机の地図を裏返し、空白の面へ指先で二本の線を引く。一方は真っ直ぐ奥へ進み、もう一方は入口近くで止まった。
「護衛と解析を分けろ。深部の魔道具は、壊すだけなら斧でも足りる。調査は別だ。お前は古代の刻印を見て、水門の留め具と動力核を見分けられるか」
「見分けるまで触らない」
「見分ける人間が要ると言っている」
二本の線のうち、入口で止まった線をガルドが指で消した。
「それに、四日か五日先までお前だけを出せる事情でもないだろう」
アルシアは依頼書を四つに折った。折り目をきっちり重ねたつもりが、最後の角だけわずかにずれる。
命紬は距離が開けば流れを落とす。家にリエッタを残し、エルドラまで行くことはできない。遺構の石壁は魔力を乱すという記録もある。入口で待たせて一人で深部へ入れば、地上に置いていくより悪い。
分かっていた。
分かっているから、依頼書へ伸ばした手が震えた。
「古い水路の図は、これだけか」
「支部にあるのはな。ほかは現地で拾うしかない」
「父の帳面にも、エルドラの記載はない」
ガルドの左手が止まった。古傷のある指が、机の縁に触れたまま動かない。
「そうか」
それだけ言って、彼は地図を表へ戻した。
アルシアが視線を上げたときには、ガルドはもう書類の下段を指している。
「持ち帰るなら貸出票へ名前を書け。今日の受理はさせん。同行者、装備、引き返す条件を決めて、明日もう一度来い」
「明日」
「遺物は昼までに逃げん。逃げる遺物なら、なおさら二人で行け」
長卓のほうで笑い声が上がった。ガルドはそちらへ一度だけ目をやり、貸出票をアルシアの前へ滑らせる。
アルシアは自分の名を書いた。
依頼書の一番上には、リエッタが開いてよいと分かるよう、小さく「確認」と書き足した。そこでペンを置く。同行者の欄には何も書かなかった。
まだ、書けなかった。
森道へ入る頃には、日が傾き始めていた。
リュネの家々は背後へ遠ざかり、足元の土は木の影を長く抱えている。アルシアは歩調を変えず、曲がり角ごとに前方の枝と斜面を見た。通い慣れた道でも、同じ場所に同じ石があるとは限らない。
革鞄の中で、依頼書が歩くたび脇腹へ当たった。
エルドラへ行けば、リエッタを危険へ連れ出すことになる。
行かなければ、工房の棚には焦げた試験器が増える。アルシアの魔力は流れ続け、リエッタはそれを受け取るたび、借りたもののように扱う。
遺物が本物なら、借りなくて済むようになるかもしれない。
中心街と家を隔てる距離でも、胸の奥の流れはまだ安定していた。リエッタの声も痛みも、そこから伝わることはない。ただ魔力が流れている。無事でいる証明ではなく、供給経路が閉じていないというだけの感覚だった。
それでもアルシアは、無意識に歩幅を広げていた。
気づいて元へ戻す。
道の脇に、浅い水溜まりが残っていた。避けることはできたが、考えが遅れ、靴の縁に泥が付く。黒い革に跳ねた褐色が、乾きかけて斑になった。
リエッタが自由になれば、自分は家を出るべきだ。
そうすれば彼女は、供給する者の残量を気にせず、好きな時間に眠り、好きな場所で働ける。食卓の向かいに誰かが座っているせいで、笑って礼を言う必要もない。
正しい形のはずだった。
その形を思い浮かべると、家の中から音だけが消えた。
アルシアは鞄の留め具へ指を掛けた。開けはしない。紙が入っていることを確かめるように、革越しに一度押す。
木立の先に、工房の屋根が見えた。
煙突から煙は出ていない。窓には夕方の光が反射し、中の様子までは分からない。門の留め金を上げると、金属音が庭へ響いた。
返事はなかった。
花壇の青い花が、朝より一つ多く開いている。
アルシアは母屋へ入り、外套を壁の掛け金へ戻した。革鞄を長椅子へ置き、土の付いた靴を勝手口で脱ぐ。工房から金槌の音はしない。約束どおり魔力を使わずにいたのか、それとも作業台でまた眠ったのか。
確かめに行く前に、依頼書を鞄から出した。
食卓へ置き、風で動かないよう黒い手袋を片方だけ載せる。「確認」の文字が上から見える向きに直した。
呼べばいい。
声を出さず、もう片方の手袋を腰へ挟んだ。
泥を落とすために勝手口から井戸端へ回る。桶に水を汲み、靴の縁を布で擦った。一度では落ちず、褐色の筋が革の縫い目に残る。もう一度水を掛けたところで、母屋の中から紙の鳴る音がした。
アルシアの手が止まる。
やがて、扉の向こうから声が届いた。
「アルシア?」
問いが、井戸水の音の上へ落ちた。
「いる」
桶を置き、まだ濡れた指を布で拭う。勝手口を開けると、リエッタは食卓の前に立っていた。
白い髪が夕日の赤を薄く含んでいる。依頼書は卓上へ戻されていた。載せておいた手袋は横へずれ、紙の白い角に、食卓へ置いたときにはなかった斜めの折り目がある。
読んだ。しかも、ただ目を通しただけではない。
アルシアは扉を閉めた。
「どこまで」
「全部」
リエッタは依頼書へ目を落とし、すぐに上げた。口元にはいつもの明るさがある。
「私も行く」
挨拶より先だった。
声に迷いはなかった。アルシアは勝手口から食卓までの距離を、普段より長く感じた。
紙一枚で、リエッタは危険な遺構へ行くと決めた。
自分から離れるための道なら、そこが崩れた水路の奥でも構わないらしい。
「駄目だ」
「早いね」
「危険度を読んだのか」
「読んだよ。深部は地図なし、床と天井が不安定。未知の動力は停止方法も分からない」
言葉を重ねるにつれ、リエッタの目が紙の文字を追うときと同じ速さで動き始める。
「それに、生成って書き方はたぶん正確じゃない。入力が報告に見えてないだけか、蓄積したものを出してるかもしれない。でも既知の導晶反応と違うなら、少なくとも今の工房にない変換の仕方が——」
「リエッタ」
名を呼ぶと、言葉が止まった。
「行くのは私だ」
「一人で?」
「遺物を確認して持ち帰る」
リエッタは椅子を引いたが、座らなかった。背へ手を置き、依頼書との間に椅子一脚ぶんの距離を作る。
「何を、どうやって外すの」
「周囲を調べてから決める」
「周囲の何を見る?」
「刻印と魔力の流れだ」
「光ってるものが動力核とは限らないよ。圧を逃がす弁かもしれないし、水路全体の留め具かもしれない。入力が地熱なら、止め方を間違えたら熱が別の場所へ行く」
アルシアは答えなかった。
リエッタの手が椅子の背から離れた。考えるときに工具の柄を探す指が、今は空を一度つかむ。
「見分けられるまで触らない、って言うつもりでしょう」
昼に使った言葉だった。
「なら、見分ける人が必要だよ」
ガルドと同じことを、違う声で言う。
「別の魔道具師を付ける」
「古代式の変換回路を現場で読めて、命紬の代替動力に何が必要か知ってる人?」
「探す」
「私を置いて?」
そこで、リエッタは笑うのをやめなかった。ただ、次の言葉までの間が少し長くなった。
「エルドラまで四日以上だよ。私を家に置いたまま行けないでしょう」
「お前は遺構の外にいろ」
「石壁が魔力を乱すって、下の注意書きにある。入口と深部に分かれたほうが危ないよ」
依頼書の下段を、リエッタの指が示す。小さな字で、通信具の反応が外壁付近で不安定になったと記されていた。
アルシアも読んでいた。
家に残せない。入口にも残せない。近くへ連れていけば、未知の仕掛けと崩落のそばへ置くことになる。
「なら、受けない」
「それなら、どうして持って帰ったの」
声は柔らかいままだった。
アルシアは紙の折れた角を見た。リエッタが何を考えながらそこをつかんだのかは分からない。聞かなければ分からないことを、分からないままにしておくほうが安全だった。
「確認だ」
「私に?」
「依頼のだ」
「依頼書はここにあるけど、遺物はエルドラにあるよ」
返す言葉がなくなった。
リエッタは一歩、食卓へ戻った。
「行かなければ、何も分からない。行くなら、アルシア一人では調べられない。私一人では奥まで辿り着けない」
自分の弱さを言うときだけ、彼女の声は軽くなる。その軽さを真に受けてはいけないと知っているのに、アルシアはいつも次の言葉を失う。
「だから一緒に行く。そこは、噛み合ってると思う」
「危険へ行く理由にはならない」
「危険だから、一人にしないんだよ」
胸の奥の流れが、わずかに温度を持った。
それは感情ではない。リエッタの言葉への答えでもない。半日ぶりに距離が縮まり、供給が普段の太さへ整っただけだ。
アルシアはそう切り分け、リエッタの右手へ目を留めた。
手の甲に、細い赤い線がある。
「手を出せ」
「今、その話?」
「出せ」
リエッタが差し出すより先に、アルシアは手首を取った。赤みは薄く、皮膚も切れていない。絹糸のような細さで、斜めに走っている。
「何をした」
「模型の糸が当たっただけ」
「魔力は」
「使ってない。ちゃんと約束は守ったよ」
「昼は食べたか」
「それも。包み、ありがとう」
手首の内側へ親指を当てる。脈は朝より落ち着いている。命紬の流れにも急な欠けはない。
リエッタが白髪を耳へ掛けた。
「朝も測ったよ」
「今は今だ」
「そうだね」
アルシアは手を離した。指先に残った体温が消える前に、食卓の端へ手をつく。
「模型は」
「切ったときに供給側が跳ね返るかを見るもの。左の軸が少し曲がった」
「左が私か」
リエッタは答えなかった。
それが答えだった。
アルシアは井戸端に置いた桶を思い出した。水に浸した布も、片方の靴も残っている。片づけるべきものが外にあるのに、足は動かなかった。
リエッタは自分を自由にするため、供給側の軸が曲がらない方法を探している。
その先で家からいなくなるつもりでも。
今ここで、その手を危険から遠ざけるには、遺物を調べるしかなかった。
「準備に何日要る」
リエッタが瞬いた。
「行っていいの?」
「条件を決める」
「何日?」
「先に答えろ」
リエッタは依頼書へ視線を落とし、指で紙面の地図を辿った。視線も地図と依頼文の間を往復する。持ち出す物と作業時間を数えているようだった。
「四日。調査具を選んで、予備の導晶を調律する。持ち運べる模型も作りたい」
「三日では」
「作るだけなら。でも耐久を確かめる時間がなくなる」
ガルドの言葉が戻った。遺物は昼までに逃げない。
「四日だ」
リエッタの肩が、わずかに下がった。
「アルシアの準備は?」
「明日、地図と水路の記録を借りる。食料、縄、冷却具、野営具。道は西部街道を使う」
「じゃあ明日、ギルドへ一緒に行こう。正式に受けて、そのまま市場を回れる」
一緒に、という言葉に返事が遅れた。
「ガルドには、同行者を決めて来いと言われた」
「名前、空けてある?」
アルシアは頷いた。
「そこに私の名前を書く」
声に明るさが戻っていた。
アルシアは、今度は止めなかった。
外が暗くなる前に、アルシアは井戸端の桶と靴を片づけた。
母屋へ戻ると、リエッタは茶を淹れていた。朝に使った二つの杯が食卓へ並び、湯気が斜めに流れている。窓は閉じていたが、古い枠の隙間から夜の風が入る。
依頼書の隣には、リエッタが工房から持ってきた記録紙が置かれていた。
「勝手に条件を書いてないだろうな」
「候補だけ」
「同じだ」
「まだ消せるよ」
リエッタは炭筆を持ったまま椅子に座る。アルシアは向かいではなく、窓と扉の両方が見える側へ腰を下ろした。三つ目の椅子は窓際にあり、二人の間へは入らない。
記録紙の上には、出発までに必要な作業が並んでいた。
遺物へ直接魔力を流さない。
周囲の熱と振動を先に測る。
外せると分かるまで固定部へ触れない。
「当然だ」
「書いておかないと、現場の当然はすぐ減るから」
「減らすな」
「アルシアにも言ってる」
炭筆の先が、その下の一行を示した。
単独で先へ進まない。
アルシアは茶へ手を伸ばした。熱い。杯を置く。
「通路の安全確認は私が先だ」
「床に刻印があったら、踏む前に私が見る」
「後ろから見ろ」
「見えないものは?」
「止まる」
「うん。止まって、二人で見る」
一人で見に行かない、という言葉が省かれていた。省かれていても意味は残る。
アルシアは記録紙を自分のほうへ引いた。
「退く判断は私がする」
「私が危険を見つけても?」
「言え。判断する」
「それだと、私が止まってって言っても、アルシアがまだ行けると思ったら進むでしょう」
否定できなかった。
リエッタが炭筆を置いた。両手を空け、食卓の上へ載せる。
「どちらかが退くと言ったら、退く。私にも、アルシアにも同じ条件」
「お前は遺物を見たら残ると言う」
「アルシアは誰かが奥にいたら助けに行くと言う」
「人と物は違う」
「私たちが戻れなくなる点では同じだよ」
柔らかい声だったが、笑ってはいなかった。
アルシアは窓の外を見た。庭の輪郭は夜へ沈み、工房の窓だけが母屋の灯りを薄く返している。あの中には、左側の軸だけが曲がった模型がある。
自分は、リエッタを連れて帰るために行く。
リエッタも同じ言葉を、アルシアについて使うのだろう。
「分かった」
「条件にしていい?」
「書け」
リエッタは炭筆を取り直した。
どちらか一人が退却を求めた場合、二人で退く。
文字の最後を丸く収めてから、余白へ出発までの日程を書き足す。明日から四日間を準備に使い、その次の朝に発つ。明日は二人でギルドへ行き、依頼を正式に受ける。
「ガルドさん、怒ってた?」
「いつも通りだ」
「アルシアが一人で行くって言った?」
「言っていない」
「思ってた?」
アルシアは茶を飲んだ。少し冷めていた。
「思ってたんだね」
リエッタは笑ったが、追及はしなかった。
アルシアは依頼書を開き、同行者の空欄を見た。明日、そこにリエッタの名が入る。自分で書くのか、本人に書かせるのかは決めていない。
紙の下段には、危険度、想定日数、調査の優先事項が並ぶ。そのさらに下に、光に透かさなければ見えない印があるらしい。
「これ」
リエッタが依頼書を持ち上げた。灯りへ向けると、紙の中に星と細い輪が浮かぶ。
「ただの支部印じゃないと思う。線がここで切れてるでしょう。回路の一部みたい」
アルシアには、古い透かしとしか見えなかった。
「依頼と関係があるのか」
「分からない。だから明日、ガルドさんに聞く」
分からないと言える声は、浮ついていなかった。
アルシアは頷く。
リエッタが依頼書を畳み直した。一つ目の折り目、二つ目の折り目までは合った。最後の角だけ、爪で付いた斜めの線が元の折り方に逆らい、白く浮く。
窓枠の隙間から風が入った。
紙の角が持ち上がる。
二人の手が同時に伸びた。
アルシアの指とリエッタの指が、斜めに折れた白い角の上で重なった。
どちらも、先に手を引かなかった。