笑わない魔女と、笑顔絶えぬ魔道具師
第二巻21 / 24

VOLUME II CHAPTER 09

第九章 王家の回収命令

二枚の命令書は、同じ紙でできていた。

厚さも、透かしも、右下に押された王宮評議会の印も同じだった。一枚目の表題は第二王女保護命令。二枚目は古代遺物緊急押収命令。人と物を分けた紙が、机の上では端を揃えて置かれている。

六月二十一日の朝、リエッタはオルフェン評議館の長机の前に立ったまま、最初の一枚を読み直した。

保護対象者は、出生記録上の第二王女。別の欄には、第二鍵とある。

広域防護の安定に重大な危険が認められるため、非常事態条項に基づき王都へ移送する。本人の同意は、移送の要件としない。

行き先は王宮内の保護区画。期間と解除条件の欄は空白だった。

「お読みいただけましたか」

机の向こうで、セヴランが言った。

濃紺の正装には皺一つなかった。灰銀の髪も、白い手袋も、評議館の朝の光を冷たく返している。記録係が宮廷魔導院長の名を読み上げた時、リエッタは昨日見た父の記録を思い出していた。

共同研究者。

目の前の男と父が、どんな言葉を交わしたのかは書かれていなかった。

リエッタの隣で、アルシアが扉と窓を一度ずつ見た。左腕は身体の脇に下ろしたままだった。壁際にはノエルが立ち、その半歩前にユリアナがいる。サラは評議会へ提出した保全記録の控えを膝に置いていた。

「読んだよ」

リエッタは答えた。

「危険の内容が書いてない。移送する期間も、ここから出られる条件も」

「詳細は王都で安全にご説明します」

「安全かどうかを決める説明が、移送のあとにあるの?」

セヴランは口調を変えなかった。

「危険が切迫している時、全ての情報を公開してから対処することはできません。あなたご自身を含む、多くの方の安定を守るためです」

評議長が咳払いをし、二枚目の命令書へ目を落とした。そこには転律珠、アルバスの研究記録、関連する出生資料と書かれている。大書庫が保管する物のうち、どこまでを関連資料と数えるのかは記されていなかった。

セヴランはユリアナへ向き直った。

「王太女殿下には、命令を支持するご署名をお願いいたします。王家のお二人を安全にお迎えするためにも」

記録係が新しい筆を置いた。

ユリアナは取らなかった。

「この文面で、リエッタは『第二鍵』と呼ばれています」

公の場の声だった。水灯祭へ出る前に聞いた声より硬く、語尾が揺れない。

「何の鍵ですか」

「古い宮廷記録の区分です」

「何を開き、何を閉じる区分ですか」

「それも王都でご説明いたします」

ユリアナの視線が、空白の解除条件へ落ちた。

「私の署名は、命令の成立要件ですか」

「いいえ。ですが、円滑な保護には王家の合意が望ましい」

「でしたら、私は聴聞まで署名を保留します。何に合意するのかが明らかでなければなりません」

命令書も返さなかった。ただ、筆は白い指の前で横たわったままだった。

セヴランがリエッタを見る。

「リエッタ様。出生の記録は、すでに確認されたと伺っています」

名前のあとに付いた「様」だけが、自分から少し離れて聞こえた。

「確認した」

リエッタは一枚目を机へ戻した。

「出生記録の第二女は私です。でも、私はリュネの魔道具師、リエッタです。遺物の解析申請者でもあります」

評議館の高い天井へ、声が上がった。リエッタは続けた。

「保護される人としてじゃなく、移送される本人として聴聞を求めます。危険の内容、移送先、期間、解除条件。遺物を持っていくなら、今の状態と、誰がどう扱うのかも記録してください」

記録係の筆が遅れて動いた。

評議長は隣の評議員と小声で言葉を交わした。非常事態条項の命令をオルフェンだけで退けることはできない。だが、保管中の資料を状態確認なしで渡せば、大書庫の規則に反する。

サラが保全記録を机へ出した。

「転律珠は六月二十日から停止・未接続です。封紙付きの木枠ごと、研究室の遮断箱に置いてあります。現物確認には評議会の立会いを求めます」

セヴランの視線が、記録の表題で一度だけ止まった。

「結構です。転律珠の停止を宮廷側でも確認しましょう」

リエッタは顔を上げた。

二枚目の命令書は、遺物とぼかさず、転律珠の名まで指定していた。

大書庫の保全区画へ入ったのは、昼の鐘が鳴る前だった。

評議会の記録係が先に入室し、サラが壁の導線を一本ずつ示した。遮断箱の封紙、木枠の留め具、停止・未接続の二枚の札。リエッタが昨日確かめた時と、位置は変わっていない。

アルシアはリエッタの右後ろに立った。左肩を上げずに済む距離だった。ノエルはユリアナと宮廷の術者の間へ立ち、剣には触れず、足の向きだけを変えている。

セヴランに同行した術者が、細長い銀枠を鞄から出した。

「それは何」

リエッタが聞いた。

「遠隔停止の確認具です」

術者は答え、銀枠の内側へ薄い札を差し込んだ。

「確認なら、先に現在値を読むはずだよ」

銀枠には読み取り針がなかった。あるのは、外へ向いた三本の刻線と、命令を送るための導晶だけだった。

リエッタは遮断箱の前へ一歩出た。

「それは測る道具じゃない」

術者の親指が導晶を押した。

床の真鍮帯に、青白い線が走った。

「止めろ」

アルシアの声と、遮断板が落ちる音が重なった。

サラが壁の把手を両手で引き下ろしていた。三本の導線が機械的に遮断され、保全区画の表示針が一斉に零へ戻る。それでも青白い線は床の継ぎ目を越え、遮断箱へ半歩ぶん伸びた。

アルシアが右手を真鍮帯へ向けた。

細い霜が、伝達線だけを横切った。

冷えた金属が縮み、青白い線は箱へ届く前に途切れた。左腕は脇に残り、右の指先から出た白い息ほどの冷気だけが床へ消えていく。

ノエルが術者の手首を押さえた。銀枠が落ちかけ、革紐に吊られて揺れる。

「命令の執行を妨げるおつもりですか」

セヴランはノエルではなく、ユリアナへ言った。

「立会いの範囲を越えた操作を止めました」

ユリアナの声は、評議館にいた時と同じ高さだった。

「術者を装置から離してください」

ノエルが銀枠を導晶ごと取り上げた。術者は抵抗せず、一歩下がった。

サラは遮断板から手を離さない。

「停止中の装置へ、停止封を送りましたね」

「二重の安全措置です」

「この札には返り線がある。この札を受け入れた装置の次回起動を、発信側の認証に従わせる形です。状態確認ではなく、制御の上書きよ」

記録係が、床で消えた線と銀枠を交互に見た。

リエッタは遮断箱の横へしゃがんだ。封紙は切れていない。木枠の留め具にも動いた跡はなく、内部の二つ星は暗いままだった。耳を近づけても回転音はない。

箱の蝶番に触れた指に、黒い機械油が付いた。

「停止・未接続のまま」

リエッタは記録係に聞こえるように言った。

「今の札を受け入れてもいない。でも、停止位置も、内側の制御の形も知らなければ、この封は作れない」

立ち上がり、セヴランを見た。

「どうして知ってるの」

「転律珠は、もともと宮廷の研究記録にある遺物です」

「箱を開けてもいないのに、内側の制御まで?」

「宮廷に残された研究記録から判断しました。記録の来歴は、必要な手続きの中でお答えします」

昨日の紙束にあった名前を、リエッタは口にしなかった。

「アルバスが持ち出した記録も、今なら安全な場所へ戻せます」

安全な場所という言葉の中に、父の机も、リュネの工房も入っていなかった。

「今の操作も、安全のため?」

「不測の起動を防ぐためです。結果として損傷はありません」

「届かなかったからだよ」

リエッタは油の付いた指を布で拭った。黒い筋が布へ移ったが、爪の際には残った。

サラが評議長へ向く。

「保全責任者として、異議を記録します。押収前の無断操作がありました。現状記録と聴聞が終わるまで、引渡しには応じられません」

評議長はすぐには答えなかった。遮断箱の札を自分で確かめ、記録係が書き終えるのを待った。

「評議館へ戻る」

短く告げた。

一夜の猶予が認められたのは、午後の鐘が三つ鳴ったあとだった。

移送と押収は、翌朝の聴聞終了まで執行を留める。命令そのものは失効しない。対象者と遺物を市外へ出さないため、大書庫の出入口と周囲の通りは宮廷部隊が警備する。

評議長が読み上げた決定を、記録係が三部に写した。

ユリアナは支持欄へ署名しなかった。代わりに聴聞の立会人欄へ、自分の名を書いた。

「妹としてですか、王太女としてですか」とセヴランが尋ねた。

「王太女として、移送される本人の問いに答えがあるか確認します」

筆を置く音は小さかった。

評議館を出ると、通りの両端に濃紺の外套が並んでいた。大書庫へ向かう橋には仮の柵が置かれ、搬入口では荷車が一台ずつ止められている。朝にはなかった旗が、書庫の石壁を囲んでいた。

セヴランが階段の下でリエッタを呼び止めた。

「明日の聴聞を待たずとも、あなたが自ら同行すると決めることはできます」

アルシアがリエッタの隣で足を止めた。代わりに答える気配はなかった。

「私が行ったら、どうなるの」

「転律珠をお渡しいただければ、書庫を強制的に捜索する必要はなくなります。オルフェンの方々へ余計な負担も生じません」

セヴランは、包囲を命じた人の声で負担と言った。

「アルシアは」

「保護命令の対象ではありません。ご本人が望まれない限り、王都へ同行する義務はない」

アルシアの右手が動いた。リエッタを掴まず、外套の脇で止まった。

「返事は聴聞でする」

リエッタは言った。

「今は、何も渡さない」

セヴランは一礼し、宮廷の列へ戻った。

日が落ちる前に、六つある大書庫の出入口のうち四つが閉じられた。残る正面口と搬入口には評議会と宮廷の立会人が一人ずつ付いた。サラの研究室へ戻るまでに、リエッタたちは名と通行理由を三度書いた。

遮断箱は同じ場所にあった。

リエッタは転律珠の木枠を確かめ、工具袋から油差しを出した。昼にサラが強く引き下ろした遮断板の蝶番が鳴っていた。布で古い油を拭い、新しい油を一滴ずつ入れる。板を二度動かすと、金属音が消えた。

アルシアは研究室の扉際に立っていた。サラは評議会へ出す保全記録を書き足している。ユリアナとノエルは、聴聞へ備えて別室で命令の写しを読んでいた。

机の端に、リエッタの聴聞請求書が置かれている。

申請者の欄には、自分で書いた文字があった。

――リュネ魔道具師 リエッタ。

その下に重なって、第二王女保護命令の写しがあった。

リエッタは油差しの蓋を閉めた。指先を拭おうとして、布が遮断箱の上にあることに気づいた。

命令書の「保護」の文字へ、リエッタの指から油が一滴落ちた。

紙の繊維を伝い、黒い染みが広がった。

第9章 了

TABLE OF CONTENTS

公開目次

  1. 01畳まれた毛布
  2. 02持ち帰られた依頼書
  3. 03旅支度の距離
  4. 04同じ道、違う願い
  5. 05一人部屋が二つ
  6. 06白い花の髪飾り
  7. 07エルドラ遺構
  8. 08熱のある手
  9. 09守護者の部屋
  10. 10罠の光
  11. 11命の距離
  12. 12帰る場所
  13. 13父の声を宿す球
  14. 14追跡者の印
  15. 15書庫都市オルフェン
  16. 16もう一人の紫
  17. 17名もない王女
  18. 18祝祭の夜
  19. 19姉という他人
  20. 20父が隠したもの
  21. 21王家の回収命令
  22. 22離れるための嘘
  23. 23選ぶ側
  24. 24白い王女の帰路
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